燕市・燕三条の「整体院 晴々」

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こんにちは!

整体院晴々新潟西区院の院長今井です。

この前知った、雑学をご紹介しようと思います!

 

じゃがいもの歴史は苦難の連続だった…世界中で嫌われた食べ物。

 

時は紀元前。日本から遠く離れたアンデス山脈の民は、じゃがいもの野生種を発見する。

アンデスの民は、「ソラニン」という毒性の強かった当時のじゃがいもを工夫して食べれるようにして、インカ帝国の食料源とした。

 

諸説はあるがおおよそ16世紀後半にヨーロッパへと伝来していった。

南米から持ち込まれたじゃがいもは、最初は美しい花が咲くことから観賞用として貴族に浸透した。

しかし、食用としてのじゃがいもの評判は散々なものだった。当時の教会は、聖書に載っていないという理由でじゃがいもを「悪魔の根っこ」と呼んだ。さらにじゃがいもをありとあらゆる伝染病の原因とする噂もあった。

そして「妊娠中の女性はじゃがいも禁止」や「家族がジャガイモを食べている児童との同席を拒否」なども起こった。じゃがいもが人間だったら3回は精神崩壊するであろうひどすぎる扱いだ。

理由はいくつかある。それは当時のじゃがいもがあまり美味しくなかったこと、じゃがいもの美味しい調理方法が確立されていなかったこと、そしてジャガイモに対する知識が普及していなかったために「ソラニン」による中毒が多発したことが挙げられる。

 

17世紀末頃にドイツ東部のフォークラント地方・西南部ファルツ地方での栽培が始まった。これらの地域は山がちで土地が痩せているため、冷涼な地域でたくましく育つじゃがいもが他の地域より早く普及したのは自然なことだった。

しかし、痩せた土地で作られるじゃがいもを他の農民たちは「貧乏連中が作る貧乏作物」と馬鹿にした。風評被害でじゃがいもは、なかなかドイツ全土へ普及しなかったのである。

18世紀、度重なる戦争や飢饉による荒廃の中でドイツの農地は荒れ果てていた。そんな中、短期間で多くの収穫が期待できるじゃがいもはドイツの救世主となりえる作物であった。

そこで時の権力者フリードリヒ大王は「ジャガイモ令」を発令し、じゃがいもの普及に努めた。また、彼はジャガイモ畑に厳重な警備をつけ、いかにも貴重な作物であるかのように扱った。

好奇心をそそられた農民たちは夜な夜なその作物を盗み出し、自分の畑に植えたのだ。こうしてじゃがいもは全国に普及していった。

 

しかし、ローカルレベルでのジャガイモ普及に対する努力も決して忘れてはならない。

「ジャガイモ栽培のための小指針」という冊子をまとめたフィリップ・エルンスト・リューダースという人物は、冊子を農民たちに配ってまわった。これにはじゃがいもの基本的な情報が載っており、少なくとも芽や茎で中毒になってしまう事故は激減したはずだ。

さらに1780年代には、じゃがいも料理のレシピやじゃがいもの疫病へ対策など、より詳しい内容が記された冊子が作られた。フリードリヒ大王の功績よりも、むしろこれらの人の地道な努力による功績のほうが大きかったという見方も存在する。

 

 

 

 

参考

 

 

 

 

 

との事でした!

 

 

今日の内容は「お腹の固さが原因の【膝の痛み】の治し方」をご紹介させて頂きます。

 

ぜひ、参考にして頂けたらと思います。

 

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12月20日に二本木コミュニティセンターで運動教室を行います!

身体のトラブルの予防や解消を目的とする体操を行っています。
事前連絡は必要ないので、もしご興味がある方は遊びにいらして下さい!

 

場所:二本木コミュニティセンター学習室  新潟市江南区二本木3丁目2-50 

時間:12月20日 14:00~15:00

参加費:無料

 

 

 

 

今日の名言紹介

 

何かを学ぶのに、自分自身で経験する以上に良い方法はない。

アインシュタイン  

 

 

 

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